卒制スクーリング1、2日目2016/09/19 22:04

 卒制スクーリング1の2日目。先生ごとに4つのグループに分けて、改めてプレゼンテーションとそれに対してのディスカッション。先生ごとといっても卒制を見ていただく担当先生が確定するわけではない。あくまでもこの日の進行上のグループ分け。僕は上原先生のグループで黒一点だ。フェイスツーフェイスでプレゼンテーションを聞くので意見も出しやすい。目の前で発表されると、ついつい突っ込んで我がことにように考えてしまう。これがグループ分けのいいところではあるが、1グループ8〜10人なので、じっくり聴いて質疑応答をすると相当疲れる。

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 アイデアが具体化していれば、もっとこうしたらとか、こう考えた方が良いとかの意見は出しやすい。僕の場合「焚き火」という括りだけなので、プレゼンをしても、いまひとつ具体的なアイデアが帰ってこない。もっともビデオアートがまともにできていない状態で意見を求めてもあまり意味はないようにも思えるが、僕が「、焚き火をするまでに、木をチェンソーで玉切するとか、丸太を斧で割って巻きを作るとか、焚き火で料理をするとか」色々話したら、「それって非日常だから、それをまとめるだけで作品になるのでは」との意見をもらった。僕的にはそれほど非日常でもないので特別感はなかったが、そういわれるとそれもアリかなと思った。上原先生は、イベントなどに至る日々の活動に反応するので、そういうことでも悪くはないとの意見だった。これは、時間を使えばできることなので、サブ案として持っておいても悪くはない。
 白尾先生は、初案の方が良いようなニュアンス。ビデオアート的な方向は自分で出したアイデアなので、こっちでまとめられればそれに越したことはないが、まだ踏ん切りがつかないし自信も持てない状態だ。最悪「木から作る焚き火」をテーマにまとめるにしても、もう少しビデオアート的なものができるかどうか、そしてどのようにそれを展示するのかどうか検証しよう。

 ビデオの内容については、薮内先生から「映像としてやや説明過多、詰め込み過ぎな印象。もし映像+本で構成していくとしたら、焚き火をめぐる物語や説明的な情報(=焚き火の「知」)は本に集約するとして、映像はファイアリム(=焚き火の「体験」)に徹したほうがお互いに生きてくるかもしれない」として、「ナムジュン・パイク」の回顧展を教えていただいた。webでビデオを見ると、コンセプトは違うが、僕の表現したいイメージに近いものもある。さっそく、外苑前のワタリュムへ観に行くことにした。