卒制の日々.32016/12/05 18:38

 12月11日の午前中が個人面談なので、卒業制作の進捗状況などをPDFにまとめ、本日、研究室宛に送った。

 現在、手探りで制作を進めてはいるものの、まだ腑に落ちるアウトプットが見つけられない状況。「焚き火」テーマは変えるつもりはないが、現在の流れでは、卒制に値しないような気がして、日々悶々としている。全く手詰まりの状態で、何をやっていいのかわからなくなくなってきた。今まで積み重ねたことをちゃらにはしたくないし、卒制面談で打開策が出ればいいが…

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    ▲焚き火のドームスクリーン
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    ▲投影する映像
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    ▲作品をクラフィックにした本
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    ▲会場演出用ポスター
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    ▲上記以外のアウトプット案


現代芸術論、断念2016/12/10 21:40

 今年度最後の科目試験は、新年1月9日だ。それに間に合うためには、レポートの必着は12月14日。途中までレポートを進めてみたもののまとまらず、さらに手書きレポートとあって、郵送か持参するかになる。卒制でパニクっている最中でもあり、それどこれではない状態、これを取らなくても、卒業の要件は満たす。卒業制作優先ということで、少し残念ではあるが、現代芸術論の単位取得は諦めることにした。

以下、現代芸術論の課題2「芸術の「大衆化」について述べよ」の、まとまっていない途中までのレポートです。

 「芸術といっても様々な解釈があるが、本科目では、20世紀以降の視覚芸術全般を現代芸術と捉えているので、ここでは「20世紀以降の視覚芸術の大衆化」として論を進める。そもそも、大衆化(たいしゅうか)とは、なにか。『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』では「近代社会の構造変化と社会規模の拡大化に伴って発生してきた大衆の行動様式などの画一化現象をいう。(後略)」とある。また、『大辞林』では「ある事物が一般民衆の間に広まること。また、広めること。」と解説されている。

 現代芸術は大衆化されているのだろうか。個人的な感覚からすれば、いまでも現代芸術は難解であり、けっして一般民衆の間に広まっている、つまり大衆化されているとは思えない。展覧会に行っても、前提になる知識がなければ、意味不明なものが並んでいるだけに過ぎず、フェルメールやルノワールの絵のように、素直に感動することができない作品も多い。

 現代芸術とは何かということになるが、フォーヴィズムあたりが現代芸術の源の一つといわれる。アンリ・マティスの作品に『緑のすじのあるマティス夫人の肖像』とい絵画作品があるが、伝統的な芸術に慣れ親しんだ一般的な感覚でいえ、ばけっして上手いとも美しいともいえない。発表当時も「まるで野獣」と酷評されたが、色彩自体の表現によって人間の感情や感覚を表すという考え方は、その後のいわゆる現代芸術の道筋に大きな役割を果たしている。さらに、現代芸術の方向性を決定付けたといわれるのが、あらゆる既成価値を否定する破壊的な芸術運動ダダイズム(ニューヨーク・ダダ)の中心人物マルセル・デュシャンであり、その最重要作品のひとつに挙げられるのが『泉』である。工業製品の小便器にサインを入れただけのこの作品は、実在する造形物そのものより考え方が作品の本質であるという、コンセプトという知性をテーマにした表現方法を示し、芸術に新たな地平を示したのである。デュシャン以後、芸術家たちは様々な「新しい表現」を模索し、無数の主義(ism)や様式(style)、表現が生まれた。一般的なの絵画(タブロー)にとらわれることなく、立体や映像、インスタレーション、パフォーマンスなど、さまざまな前衛的表現手法が模索され、従来の概念に収まらない作品を多数生み出してゆくことになる。フォーヴィズムやダダイズムなどに代表される20世紀前半の現代芸術を「モダニズム」という概念でくくることができるが、芸術家は芸術を自己表現の場としてとらえて、芸術の本質とは、人間の根源とは何を問い、芸術家自身の自己表現によってその答えを求めた。それは、結果的に一般大衆と距離を置くようになり、知識人と呼ばれる一部の人間しか理解できないものになっていくが、モダ二ズムは「理解できない」というより「理解されることを否定する」かのようにも見えるのである。モダ二ズム芸術の最大の特徴のひとつはこの一般社会との隔絶ともいえるのである。」

 結論までには至らずでした。

卒制の日々.4 白紙に戻る2016/12/11 23:04

 卒業制作個人面談当日。場所は吉祥寺校4号館二階、ギシギシ床が軋む木造の建物だ。担当は薮内先生。この日のトップバッターで11時40分からスタートした。今までの進捗の説明や、250mmドームスクリーンでのデモンストレーション、いまひとつ腑に落ちていないことや、過去の作品を見てもらってそこからヒントを見出せないかなど、さまざまなディスカッションをした。次の学生に少し待ってもらいつつ、14時10分に終了。予定を30分オーバーして、この日の面談は終わった。

面談

 結果的に、エフェクト映像はそれ以上でも以下でもないから、とりあえず止めということで…ほぼ白紙状態に戻った。ディスカッションの中で出てきたのは、パーソナルな焚き火を作ってはどうか、贈れる焚き火って何かをということ。「3Dの焚き火が実現できたら室内で焚き火を楽しめる」がそれまでのFIREriumの基本的な考え方でもあったから、ひとまずその辺を探ろうということでお開きななった。

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 とりあえず方向性は決めたものの、正直なところ、3Dのようなバーチャル映像などを卒業制作にしていいのか、自分がやりたいことなのかという不安がつきまとっている。今までの経験をベースに、素直に『焚き火ブック』など印刷物を作品にしたほうがいいのではないかと…
 面接後も、闇の中から抜け出せない自分であった。年明けの1月14日が卒制事前展示。完全な完成品ではなくても良いみたいだが、イチから作っていくわけだから、果たして、卒業制作展までこぎつけられるのだろうか?気持ちは焦るいっぽう、不安は募るいっぽうである。

卒制の日々.5 揺れる心2016/12/12 18:16

 面談の結果、それまでのことは、ほぼ白紙状態になってしまった。多少の覚悟はあったが、そのままいける気持ちも半分あった。この時期になって、この結果。精神状態がかなり怪しくなってきた…

 話し合いの中で、一応の方向性として見い出した「焚き火の3Dホロ画像」や仕掛けを軸にして奈々ができるのだろう。それは、卒業制作に値するのか、自分のやりたいことなのか。たしかに、チャレンジングなことを卒業制作としてやろうと思い、あえて映像を選んだが、スキル不足は否めず、自分が納得するものができそうもなかったから、エフェクト画像は使わないということは納得出来る。そのかわりが3D焚き火なのかと考えたときに、やはり自分自身の腑に落ちないのである。

 改めて自分が何をしたいかを考え、やはり、焚き火のエバンジェリスト(笑)として、その楽しさや深さを、多くの人に知ってもらいたい、体験してもらいたいとの思いが強く、「焚き火をつくる行為」、「焚き火を使う行為」、「焚き火を感じる(見る・聞く・ぬくもりを感じる)行為」をシンプルに、愚直に、伝えてゆくのが一番ではないかと考えるに至った。

 コンセプト的には「焚き火カフェ」的な発想で、「焚き火をするきっかけを作る」「焚き火を好きになるきっかけを作る」。そのためのアウトプットを考えればいいのではないかと。
 で、いろいろ調べて、いけるのではないかと思いついたのがAR(拡張現実、Augmented Reality)の利用。たとえは、焚き火のグラフィック(焚き火ブックレットや展示用のポスター)にスマホをかざすと、焚き火の映像になったり、焚き火料理をしている映像であったり、焚き火の作り方の画像であったり、さらに焚き火の燃える映像とともに、焚き火のウンチクをテロップで流したり…など。

 ARの知識はないが、いろいろ製品化されていることもあり、たぐっていけば、なんとかなるのではないかと…グラフィックデザイン+映像ということで、自分の今まで経験してきたことも盛り込めるし、ベターなアウトプットではなかと思った。

先生宛にその旨のメールを送ったが、の意見はまだいただいていないが、これならいけるのではないだろうか…。

卒業の日々.6 一歩前へ2016/12/13 12:35

 前日提出した、AR(拡張現実、Augmented Reality)をつかったアウトプットのアイデアについて、先生からの返答がきた。
 「ARはコンセプト的に後退している現在では「焚き火」をすることにさまざまな障壁があることを念頭に、「魅力や良さを再現するのだけでなく、未来へと「焚き火」をバージョンアップ/アップデートすることが重要だ。スマホっというデバイスによってパーソナルな火を持てること。それらを持ちよることで場やコミュニケーションの空間が生まれること…昨日ディスカッションした案で、すがPAPAさんの掲げられた「焚き火による場づくり/共有空間」といったコンセプトとアウトプットの整合性はひとまず取れているし、方向性としてもまちがってない」として、焚き火の未来に向けた一つの仮説実証でもあるから、3Dのプロトタイプをつくってみて、何に使えそうか、どんな見せ方が可能か、どんな企画が構想できるかを考えてみて欲しいとのことだった。

 暗中模索&試行錯誤な状態なので、考えが定まらない状況ではあるが、むろん打ち合わせを無視しているわけではないので、3Dのプロトタイプの実験は並行して行っていた。ネット上に、スマホ用の3Dスクリーンの作り方が載っているので、それに従ってCDケースをカットして台形のスクリーンを作った。とりあえず、ネット上にある画像をスマホに流して見る。なるほど擬似的だが3Dには見える。映像そのものが立体になるわけではなく、台形の3Dスクリーンの中央に平面的な像を結ぶ。ほぼ想像通りといえばそれまでだが、宙に浮いているように見えるのがおもしろい。

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 次の作業は、焚き火の映像をアフターエフェクトで加工して、YouTubeにアップすること。これもネット上にとても不親切な説明映像だが載っている。ネット映像とリファレンス本を交互に見ながらなんとか4面に配置した3D映像を完成させた。さっそくYouTubeに上げて、iPhoneで読み込んで3Dスクリーンの上にセットして見てみる。わずは高さ25mmほどの映像だが、たしかに焚き火が揺らめいている。手のひらサイズのパーソナルな焚き火。その小さな焚き火が愛おしい。これだけではなんだかな〜という感じだが、「手のひらの焚き火」という考え方ができるから、なにか突破口が見つかるかもしれない。暗闇の向こうが、ほんの少し明るくなったような気がした。