工芸Ⅰ、2単位ゲット!2015/09/16 20:57

 工芸Ⅰの通信課題が戻ってきた。思いのほかよい評価で、久しぶりの90点。取材に出かけたり、デザイン分析のために製品を買ったりと、ゆるく楽しいスクーリングに反して、手間と時間のかかる課題だったが、やったことが確実に跳ね返ってきたという感がある。

 以下講評。
「(前略)たいへん質の高いレポートです。この産地への興味の持ち方、結論とも実感があり、よい学習が出来たと思います。
 一般的な話ですが、日本人の多くは、まだ、商品単価の安い物を、疑いも無く好む傾向があるようです。ドイツの学生などを見ていて感心するのは、仮に、変に安いTシャツなどが店にならんでいたりするとラベルやタグをしっかり見て、ほとんど買わない場合が多いことです。
 背景にあることやものを見ようとするわけです。安い労働や環境と云った物に対する認識が高いと云えます。生活者の底上げはどうしたら出来るのでしょうか?デザインの黄砂とも同じに考えます。ハンドル無しで、ソバチョコをアピールする方がよいでしょう。単価はもっと下がります。ご苦労様でした。」指導担当はKR先生。

工芸1-カップ

工芸1-ソーサー2
   ▲添付した製品図面

 とにもかくにも、これで2単位ゲット!テニスの1単位に続いて、今季トータル3単位。まずはめでたし。「ハンドル無しで、ソバチョコをアピールする方がよいでしょう」というのは、デザイン分析のために購入したコーヒーカップは蕎麦猪口の元型に取っ手をつけてアレンジしたものだったため。

工芸Ⅰレポート完成!2015/08/26 15:18

 ちょこちょこと書き進めていた工芸Ⅰのレポートが完成した。益子に取材に行ったのが7月18日だから一ヶ月ちょっとかかったことになるが、スクーリングを挟んでのまとめだから上出来だろう。

表題は「益子の陶器産業の概略と現状』 
調査のあらましを書く冒頭は冒頭は以下のようにまとめた。

レポート1

「居住する地域もしくは近在の産業として営まれている工芸を一種類選び、その産業を俯瞰するとともに生産現場を見学して記録する。また、自分自身でその製品を使用してデザインを分析、考察するという「地域工芸のデザイン調査」課題に対して、すぐ頭に浮かんだのが、筆者が住んでいる栃木県の代表的な工芸産業「益子焼」である。

 また、予備調査の中で、初めて「濱田庄司」を意識したことも大きい。益子焼が今あるのは濱田なしでは語ることができない。益子のすべての窯元が、直接的または間接的にその影響を受け、濱田の作風こそが、今日、多くの人々がいだく益子焼のイメージの原点となっている。名もない日用雑器から民芸品へ転換した益子焼は、工芸の生きる道として正しかったと思うが、現在、益子の陶器産業は振るっていない。工芸Ⅰのスクーリング「青山伝統工芸館」見学で、日本の工芸品の側面を垣間見たこともあり、その現状にも興味を持った。

さらに、以下、学習指導書の「地域工芸のデザイン調査」制作条件が合致しているのも「益子焼」を選んだ理由でもある。

  1)産業として営まれている工芸(陶器)であること。
  2)地域の産業として認知されていること。
  3)実用的で一般的な生活用品を生産していること。」

 その後に、産業調査(産業の概略、調査した工場の概略と生産工程、産地のデザインに対する考え方)、製品調査(購入した製品の説明、デザイン調査・分析)と続けて、最後に、学習指導書にはないが「レポート後記」として、自分なりの伝統工芸品に対する意見をまとめた。

レポート2
    ▲産業調査(産業の概略)
レポート3
    ▲産業調査(産業の概略、調査した工場の概略と生産工程
レポート4
    ▲産業調査産地のデザインに対する考え方)
レポート5
    ▲製品調査(購入した製品の説明、デザイン調査・分析)
レポート6
    ▲製品調査(購入した製品の説明、デザイン調査・分析)
レポート7
     ▲「レポート後記」   

 最後に、学習指導書にはないが「レポート後記」として、自分なりの伝統工芸品に対する意見をまとめた。
 そして、「益子焼の調査から、工芸品の現状を見たが、今日的な経済的価値観では、その危機的状況が変わることはないだろう。結論的なことはいえないが、ひとつだけいえることは、益子焼にせよ他の伝統工芸品にせよ、生産者、消費者ともに、その工芸を育んできた日本文化そして地域文化に敬意を払い、精神的豊かさを持って、接する努力が必要なことである」とレポート後記を結んだ。図面を添付して早速発送!さて評価はいかに。

工芸1のレポート制作2015/08/13 20:44

 工芸Ⅰの通信課題は「地域工芸のデザイン調査」だ。「居住する地域もしくは近在の産業として営まれている工芸を1種類選び、その産業を俯瞰するとともに生産現場を見学して記録しなさい。また自分自身でその製品を使用してデザインを分析、考察してレポートにまとめなさい」という出題。産業というところがポイントで作家作品はNG。工芸だから、単なる自己表現とは違うということ。産業というからには、経済活動に他ならないから、そこが現代の工芸のポジショニングの難しさだ。

 益子焼にした経緯は以前書いたが、いろいろ調べていると各地の工芸品同様、益子焼の厳しい現実も垣間見えてくる。昭和54年8月には、国の伝統工芸品に指定され、平成9年のピーク時には100億円あった益子焼の年間売り上げが、平成23年には29億円に減少している現実にはちょっと驚いた。春・秋の陶器市を始めとして、年間多くの人々が訪れる、日本を代表する焼物の産地として定着しているにもかかわらずだ。
 また、今の益子焼は消費者の嗜好に合わせ、 薄手・軽量・デザイン性重視の傾向にあるという。しかし、それによって益子焼本来の味わいが 失われた商品が氾濫し、単に益子において製造され、売買されているものは全て「益子焼」 と称するという状況に陥ってしまっているという。

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 その辺の「益子焼」の現状を把握した上で、製品調査(商品説明・デザインの調査分析)をする。製品を購入して自分で使ってみて、使い勝手や造形性などを分析して、そのデザインの評価をする。まずは製品の撮影と実測して図面に起こす作業。真横のカットを2方向と真上のカットを撮影して、Illustratorに読み込み、製品を実測しながら図面を作る。断面図が少し苦労したが、定規を垂直に立ててない寸を図ってなんとか採寸した。少し狂っていると思うが、微妙な寸法を求められているわけでhないのでそこはご容赦。

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 図面は大まかにできたが、これをインタビューなどの産業調査と一緒にレポートに組み込む。見やすさも重要だから、最終的にどのようなレイアウトにするかしばし考え中である。

濱田庄司を知る2015/07/19 15:56

 工芸Ⅰの通信課題のレポート制作のために、益子を訪ねたが、その際、初めて「濱田庄司」を知った。陶芸にそれほど興味はなかったが、濱田庄司記念「益子参考館」と「益子陶芸美術館」を訪ねて、濱田庄司という陶芸家の存在を知った。イギリスで活動した後、栃木県の益子へ居を移し以後活動の拠点とする。益子を陶芸の町として内外に知らしめた人物でもある。

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    ▲益子参考館
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    ▲益子参考館の登り窯
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    ▲益子参考館の作陶スペース

 「益子参考館」の説明には以下のようにある。「濱田庄司は、近現代の日本を代表する陶芸家の一人です。1894年に東京で生まれ、東京府立一中時代に陶芸家の道を志しました。東京高等工業学校窯業科から京都の陶磁器試験場に入所し、この間に終生の友、河井寛次郎を得ています。 自身の作家活動の軌跡を「京都で道をみつけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と振り返っているように、大正半ばにバーナード・リーチとともに渡英し、イギリスで陶芸家としての活動をスタートさせます。帰国後は、田舎での生活を望み、1924年に益子に移住しました。この時期には沖縄にも長期滞在し、多くの作品を残しています。1930年に、母屋となる建物(陶芸メッセ・益子に寄贈)を移築し、その後1942年までの間、多くの古民家を邸内に移築し、自身の生活と作陶の場としました。またこの間に、柳宗悦や河井寛次郎らと民芸運動を創始、日本の工芸界に大きな影響を与えました。1955年には、第1回重要無形文化財技術保持者(人間国宝)に富本憲吉らとともに認定され、1968年には、陶芸家として3人目となる文化勲章を受けました。」

 僕が良いと思えたのは、釉薬の流描による大胆な模様の大皿などだ。意図しながらも作為的ではない力強い作風だ。凄いな〜と思いながら、レポート制作のためにいろいろ調べていくと、実は、濱田庄司の作品を見るのはこれが初めてではなかった。工芸Ⅰのスクーリングで日本民藝館に見学に行ったが、濱田庄司の作品数多く展示されていたのを今更ながら思い出した。日本民藝館には、作陶の拠点であった益子の土と釉薬を用いた作品がは約450点収蔵されているという。

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    ▲釉薬の流描による大胆な模様の大皿
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    ▲釉薬の流描による大胆な模様の大皿
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    ▲益子陶芸美術館
 「濱田庄司は、柳宗悦、河井寛次郎とともに民藝運動を推進した中心的存在であり、同時に民藝理論のよき実践者であった。物心両面から民藝運動を支え、1961年柳の没後には日本民藝館館長に就任した。」ということなので日本民藝館館に作品が多いのもうなずける。そして、益子が民藝運動の拠点の一つでもであったことが、工芸Ⅰの課題の流れとはいえ、なにか不思議な因縁を感じてしまうのである。もし僕が栃木県に住んでいなかったら、日本の工芸の活動として「民藝」を認識することもなかったし、ましてや「益子焼」そして「濱田庄司」をも知ることは多分なかっただろうから…

益子焼窯元を訪ねた。2015/07/18 21:08

 工芸1のスクーリングはすでに終えているが、通信課題のレポート作成のためには、地域で産業としている工芸の現場を訪ねて取材することの必須だ。栃木県の工芸として浮かんだいの益子焼だ。もともと生活に使う皿や茶碗や丼が生産の主体だ。生産現場の自由見学ができるということで「つかもと」という益子で最大手の窯元を訪ねることにした。大手ということは量産できるシステムを持っている工場ということだ。工芸工業デザインという視点から、作家の工房はNGである。

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    ▲益子最大手の塚本窯

 朝8時過ぎに家を出て、窯元に着いたのが10時少し前。特に受付があるわけではないが、関係者らしき人物に断りを入れて見学する。ここは生産だけではなく、自社販売から、ロクロや彩色なども含めた陶芸教室なども行っている。わりと自由に見学できるが、残念ながらこの日はロクロを回す人が出張でいなかったが、その他の行程は大まか見ることができた。
 また、数名の人にお話を聞いたが、それぞれ仕事中にもかかわらず快く答えてくれた。特に陶芸教室の責任者の中根さんからは、益子焼の現状から、今後の方向性までいろいろ話を聞くことができた。

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    ▲ロウを塗って釉薬がかからないようにすうる作業
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    ▲釉薬掛け
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    ▲整形して乾燥中の器
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    ▲釜に入れる前の茶碗
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    ▲いろいろ話をしていただいた中根さん

 塚本窯としてのキーワードは「原点回帰」と「シンプル」ということだった。「原点回帰」は、いたずらに時代や消費者の迎合するのではなく、益子焼の持っている本質や魅力を考え、アイテムを絞りながらリプロダクトをする。それによって埋もれた価値を再発見したり、新たな価値を創造することだという。具体的には、彩色をシンプルにすることで、昔から使っている型の新たな魅力を再発見したり、既存のシンプルな形を生かしながら、何かを少しプラスアルファすることで現代的な価値を作る出すなどである。OEM的な生産請負もしているが、「つかもと」は中量生産工場なので、自社ブランドをもっと大切にしていきたいとのことだった。