デザインⅠ後半、最終日2013/12/15 20:05


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    ▲提出した焚き火cafeのポスター

 A3のプリントをA2のケント紙に貼ってから、受講生各自が、作品を説明して、講評をもらう。僕は3番目。ひと通り説明して、O先生からは、「理論的に考えられているとか、カラーリングも計算されている。ただ、焚き火をもっと印象的に強く扱った方が良かった」と、どちらかといえばプラスのコメントをいたがいた。しかし、Y先生には痛いところをつかれた。「ずいぶん早く出来上がったようだが、その作品で満足してますか?地名を外したら、どこでも使える。デザインとしては完成しているが、もっと突っ込んで(企画コンセプトを捉えた上で)地域ならではの特徴をどう表現するかが必要。今後の課題にして取り組んでください。」というコメントをもらった。

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    ▲デジタルだけの講評風景

 確かにおっしゃる通りなのだ。仕上げにこだわるあまり、あまりアイデアの幅を広げず、結果的に初案の完成度を高める方向になってしまった。仕事では、新しい切り口を探せとか、コンセプトがスピーディーに伝わる工夫をしろとか、既成のイメージにとらわれるなとか言っているにもかかわらず、自分でデザインをすると、どうしてこうも臆病になってしまうのだろう。大学の授業なんだから失敗しても全然OKだし、もっと遊んじゃってもいいわけだし、何を恐れているのだろう。…相変わらず、手堅くまとめている自分がいることを、改めて知らされる結果となった。

 午後からは、全体の講評と手書き制作組の講評が、1階の前提講義が行われた部屋で行われた。壁には参考作品に選ばれた4点の作品が並べられ、残りは円形に並べられていた。参作を見て感じたのは上手い下手は別として伝えようとする表現のインパクト。4点のうち3点が手書き。デジタルでは表現できない凄さを目の当たりにした。いっけん放任主義的なスクーリングの目的がここで始めて理解できた。結果を出すのは自分、考えて考えて考え抜けば、そこに道は開かれるというか、自ずと結果は付いてくるということだ。

 仕事じゃないんだから、もっと自由に、もっと大胆かつ繊細にデザインに取り組まなければ、学んでる意味がない。いつも感じることは、みんなの自由な発想や自由な表現。荒削りだがなるほどと感心させられるものが多く、気づかされることばかりだ。この壁を乗り越えたい(涙)と、痛切に感じるスクーリングだった。


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