映像文化論、課題4提出しました。 ― 2013/08/21 22:06
ひと月ほど前から取り組んでいた、映像文化論の最終課題のレポートを提出した。課題4のテーマは「デジタル技術やネット社会における「写真」の未来像を自由に述べなさい。」というもの。
しかし、デジタルについては、教科書も世界写真史もほとんどというか、お印程度しか触れていない。課題3の講評では、「写真がデジタルに移行する上での問題点、デジタル写真ならではの作品を発表している現代作家の例、銀塩写真でもデジタル写真でも変わらない写真の本質とは何か」についても考えてちょうだい的なアドバイスがあったので、書籍やウェブなどでいろいろ調べた。しかし、モダニズム写真以降は実に混沌としていて、さらにデジタル化で写真がどう変わったのかがいまいち把握できない。もちろん、複製が容易だとか、加工修正がしやすいなデジタルの利点は当然のものとしてですが。だいたい誰がデジタルで写真を撮っているのかさえ定かではない。そんななかで、アンドレアス・グレスキーを知って、個展を見に行ったわけだが…
しかし、デジタルについては、教科書も世界写真史もほとんどというか、お印程度しか触れていない。課題3の講評では、「写真がデジタルに移行する上での問題点、デジタル写真ならではの作品を発表している現代作家の例、銀塩写真でもデジタル写真でも変わらない写真の本質とは何か」についても考えてちょうだい的なアドバイスがあったので、書籍やウェブなどでいろいろ調べた。しかし、モダニズム写真以降は実に混沌としていて、さらにデジタル化で写真がどう変わったのかがいまいち把握できない。もちろん、複製が容易だとか、加工修正がしやすいなデジタルの利点は当然のものとしてですが。だいたい誰がデジタルで写真を撮っているのかさえ定かではない。そんななかで、アンドレアス・グレスキーを知って、個展を見に行ったわけだが…
以下、レポートの抜粋。
1)写真において、デジタル技術は必須で、マスメディアの多くのシーンで使われている。素人でも失敗無く写真を撮ることを可能とし、写真撮影をごく身近な行為に変えた。デジタルの進化でさらに日常生活の奥深く写真を浸透させる。
2)写真の公開や閲覧が、情報端末だけで完結することが一般的となったが、
アート系の写真ではアナログ的アウトプットが残っている。デジタルの必然として、インターネットによる写真作品のダウンロードなどが手軽にできれば、新たな写真の楽しみにもつながる。また、マルチメディア的なインスタレーション展示なども実践されていくものと考えられる。
3)コンピュータ技術は、CGと写真表現とのフュージョンの世界を出現させた。やなぎみわは比較的判り易い例でだが、アンドレアス・グルスキーの場合、ドキュメンタリー写真にも抽象絵画にも見える。写真とデジタル技術を駆使して作り上げられた作品は、絵画特有の空間を写真によって実現している。またトーマス・ルフは、アダルトサイトのポルノ画像で作品化を試みた。デジタル技術の進化は、そうした写真表現の枠組みを逸脱した動きをいっそう加速化する。
結論
デジタル技術とインターネットの進化は我々が想像し得ない新たな視覚表現を実現してくれる。

▲添付した資料 ルフ(左)グルスキー(上)やなぎみわ(下)
というような感じでまとめたが、「写真」の未来像を自由に述べ手いるとはいい難い。しかし先生のアドバイスには従ったつもり。少なくともレポートは学習報告なので、自由にといっても、教科書の文脈と関係ないことを書いてもNGなような気がする。
評価はどう出るかわからないが、これで9月8日の科目試験は受けられる。スケジュールがバッティングしているので、ただいま調整中ではあるが…
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