やっぱり…65点。 ― 2013/10/21 21:29
映像文化論の結果が出た。やっちまったぜ!の65点。「可」でとりあえず合格。はずかしながら4単位ゲットです。以前書いたように、少々的外れの答えを書いてしまったから、予想通りの結果だったと言えるが、それにしても科目試験の結果がそのまま科目の評価に反映されるのは厳しい。
以下、愚痴です。
各課題レポートはすべてAだったんだからもう少し評価が良くてもよさそうなもの、しょうがないといえばしょうがないが、どこか納得できない。それに教科書に沿って学習したことの理解が足りなくて、点数が低かったのなら納得もできるけど「写真の引用」や「著作権」についてなど教科書にはこれっぽっちも触れられていない。参考図書にも挙げられている書籍も、ほとんどが写真史関連、「写真や映像の引用と著作権について思うところを記せ」という出題の根拠はなんだろう。
映像文化論的に見れは、著作権は重要な項目であるのはわかるが、こんなのでいいのかな?「…思うところを記せ」ということだったから、学習とは関係なく思うところを記せば良かったのか知らん。広告にせよパッケージにせよデザインのために撮った写真は、一部の有名フォトグラファーを除いて、そのほとんどが納品と共にクライアントに権利が移行する。大手クライアントはそのような基本契約を押し付けてくるとはいわないが前提だ。予算もあることだし後から権利云々言われたらかなわんということだけど、それがデザイン業界の常識。一般的なカメラマン(フォトグラファーなんておこがましいレベル)の著作権なんか無いに等しいわけですよ。
引用もされまくりだしね。特にWEBの場合。(もちろん、権利関係に誠実な会社もあります!) でも、著作権がどうたら言ったら、仕事こなくなるもんねといったら大げさだけど、支障があることは事実。デザインの著作権も同様。著作権って何だって声高に問いたくなるのですよ。ん?なんだ、このことを書けば良かったんじゃないの。リアリティもあるし。ふ〜後悔先に立たずです。
まあ、何を言おうが愚痴ですから、気にしないでくださいな。4単位いただいたことで良しとしましょう。10月はブックバインディング2単位、絵本4単位、映像文化論の4単位で計8単位。これで合計60単位の大台、3年進学まで、あと2単位に迫った。大手をかけたってことで(笑)
予想外の出題(汗) ― 2013/10/14 15:31
お茶の水女子大で映像文化論の科目試験を受けてきた。三連休の最終日、秋晴れの空が広がる。那須塩原を秋の装いで出かけたが、東京はまだ汗ばむほどの気温だった。

▲秋晴れのお茶の水女子大キャンパス。

▲試験前の教卓付近。黒板には本日のスケジュールと注意。
さて、定刻より30分ほど早くついて、少しは頭に入れておこうと提出レポートを読み返し、WEBの過去問の出題内容をフォローしたノートをチェック。
9時30分、試験開始。テスト用紙を見る。じぇじぇじぇっ!予想題していなかった設問。「写真や映像の引用と著作権について思うところを記せ」…まさか、このようなテーマで出題されるとは思ってもいなかった。8月に受けた印刷文化論と同じパターンになってしまった。慌てても意味がないから、とりあえずなにか書いているうちに、思いつくだろう。とはいえ、著作権関係はまったくのノーマーク。というより教科書にも参考にした世界写真史などにもまったく触れられていない。しかし、とにかく書かねば…
で、何を書いたかというと…
初めての写真術が、ダゲールの手によって発明されたが、そのには、著作権という概念はなかった。やがて肖像写真がブームになる中で、写真館という事業も拡大するが、その中でビジネスとして重要だったのが有名女優などの肖像写真。やがて各写真館で有名人を囲い込むようになる。これらが、肖像権や著作権ビジネスの走りであるといえる。
著作権に対する最大の問題点は、写真は(ダゲレオタイプは除くが)簡単に絵来てしまうことにある、写真で芸術をめざしたレイランダーなどは絵画を規範として作品を作ったが、絵画ならば一般的に一点しかないので著作権を持つというのは妥当なことであるが、写真の複製に対しての著作権はどのようになるのか。現在、ウェブ上にはさまざまな写真が
、ドイツのベッヒャー派の作家(トーマス・ルフだが名前を思い出さなかった)はウェブ上にあるポルノ画像を加工して自身の作品としているが、作家の創造に対する著作権は当然あるといえるが、ポルノ画像の著作権はどのように扱うのだろう。一般的な考えでは著作権侵害となってしまう。また、建物や風景を撮影した場合の著作権はあるのか。誰がとっても同じような写真になってしまうところに著作権はあるのか。
(この辺まで書いたら、残り時間は20分を切っている(汗)。さらに漢字を思いだせずに、開き直ってひらがな攻撃!内容が合ってれば
よしです)
上記のように著作権に対してはさまざまな問題があるが、どんな画像にせよそれを写した人いる限り、どんな写真であったにせよ著作権は尊重されなければならない。レンタルなどフォトビジネスもそれがあって初めて成り立っているといえるが、同時に著作権フリーの映像が流通しているのも現実である。また写真作家でもウェブ上のサイトの作品を
著作権フリーで提供している作家も多数いる。映像の引用については、デジタル技術の発達によりその全てにしても部分にしてもオリジナルとはまったく違うものに加工すすることが可能になっている。
(結論)このようなデジタル情報社会のなかで、著作権についてはさまざまな問題をはらんでいるが、写真にたずさわる人々は、それがどのような画像であれ、それを撮った作者の著作権をいっそう尊重しなければならないのである。
と、こんな感じで、あらためて思い出して書いてみると、設問に対する答えになってないような文章ないようになっている。勉強したことを出来るだけちりばめながら文章を構築しようと思ったが、著作権とそ引用の何たるかを正確に理解していないことがわかってしまう回答となってしまった。
いっそ再試験にしてもらった方がすっきりするようなモヤモヤ感がある不本意な結果でした。チ〜ン。
早すぎる?結果。 ― 2013/08/22 22:00
昨日提出した映像文化論の最終課題4の結果が出た。昨日の今日、ちょっと早すぎるような気もするが…夏休みで提出数が少ないのかな。というわけで、おっかなびっくり出したレポートの評価は、めでたくAという結果でした。
以下、講評。
「大変興味深く読ませていただきました。普段から、写真に対して高い問題意識を持ち、海外の写真作品も積極的に見ていますね。最終課題にふさわしい、充実したレポートです。
あえて欲を言えば、デジタル写真の保存性(パソコンやCDといったものもモノなので寿命がある)や、デジタル情報の世界的な格差(電気やハード機器が無いとデジタル情報が見られないため)といったことも書かれていると、より良かったと思います。
これでレポートは終わりになりますが、これからも写真を楽しんでほしいと思います。」
お盆休み中、試行錯誤したレポートだけに、あまりの早い結果になんとなく拍子抜けって感じ。映像文化論の学習の過程で始めて知って観に行ったグルスキーの個展、レポート書くのに調べたルフ。「海外の写真作品も積極的に見ていますね。」のコメントはちょっと恥ずかしい。(まあ、グルスキーの個展は必見ですが…)でも、それも勉強の楽しみではありますね。で、さっそく9月8日の科目試験を申し込もうとしたら…。なんということでしょう。8月17日までのレポート提出分しか9月の試験は受け付けないようで…せっかく早く戻してもらったのに、ちょいと先の10月14日(月)の科目試験になりました。とりあえずそれまで忘れないようにしなければ(汗)
以下、講評。
「大変興味深く読ませていただきました。普段から、写真に対して高い問題意識を持ち、海外の写真作品も積極的に見ていますね。最終課題にふさわしい、充実したレポートです。
あえて欲を言えば、デジタル写真の保存性(パソコンやCDといったものもモノなので寿命がある)や、デジタル情報の世界的な格差(電気やハード機器が無いとデジタル情報が見られないため)といったことも書かれていると、より良かったと思います。
これでレポートは終わりになりますが、これからも写真を楽しんでほしいと思います。」
お盆休み中、試行錯誤したレポートだけに、あまりの早い結果になんとなく拍子抜けって感じ。映像文化論の学習の過程で始めて知って観に行ったグルスキーの個展、レポート書くのに調べたルフ。「海外の写真作品も積極的に見ていますね。」のコメントはちょっと恥ずかしい。(まあ、グルスキーの個展は必見ですが…)でも、それも勉強の楽しみではありますね。で、さっそく9月8日の科目試験を申し込もうとしたら…。なんということでしょう。8月17日までのレポート提出分しか9月の試験は受け付けないようで…せっかく早く戻してもらったのに、ちょいと先の10月14日(月)の科目試験になりました。とりあえずそれまで忘れないようにしなければ(汗)
映像文化論、課題4提出しました。 ― 2013/08/21 22:06
ひと月ほど前から取り組んでいた、映像文化論の最終課題のレポートを提出した。課題4のテーマは「デジタル技術やネット社会における「写真」の未来像を自由に述べなさい。」というもの。
しかし、デジタルについては、教科書も世界写真史もほとんどというか、お印程度しか触れていない。課題3の講評では、「写真がデジタルに移行する上での問題点、デジタル写真ならではの作品を発表している現代作家の例、銀塩写真でもデジタル写真でも変わらない写真の本質とは何か」についても考えてちょうだい的なアドバイスがあったので、書籍やウェブなどでいろいろ調べた。しかし、モダニズム写真以降は実に混沌としていて、さらにデジタル化で写真がどう変わったのかがいまいち把握できない。もちろん、複製が容易だとか、加工修正がしやすいなデジタルの利点は当然のものとしてですが。だいたい誰がデジタルで写真を撮っているのかさえ定かではない。そんななかで、アンドレアス・グレスキーを知って、個展を見に行ったわけだが…
しかし、デジタルについては、教科書も世界写真史もほとんどというか、お印程度しか触れていない。課題3の講評では、「写真がデジタルに移行する上での問題点、デジタル写真ならではの作品を発表している現代作家の例、銀塩写真でもデジタル写真でも変わらない写真の本質とは何か」についても考えてちょうだい的なアドバイスがあったので、書籍やウェブなどでいろいろ調べた。しかし、モダニズム写真以降は実に混沌としていて、さらにデジタル化で写真がどう変わったのかがいまいち把握できない。もちろん、複製が容易だとか、加工修正がしやすいなデジタルの利点は当然のものとしてですが。だいたい誰がデジタルで写真を撮っているのかさえ定かではない。そんななかで、アンドレアス・グレスキーを知って、個展を見に行ったわけだが…
以下、レポートの抜粋。
1)写真において、デジタル技術は必須で、マスメディアの多くのシーンで使われている。素人でも失敗無く写真を撮ることを可能とし、写真撮影をごく身近な行為に変えた。デジタルの進化でさらに日常生活の奥深く写真を浸透させる。
2)写真の公開や閲覧が、情報端末だけで完結することが一般的となったが、
アート系の写真ではアナログ的アウトプットが残っている。デジタルの必然として、インターネットによる写真作品のダウンロードなどが手軽にできれば、新たな写真の楽しみにもつながる。また、マルチメディア的なインスタレーション展示なども実践されていくものと考えられる。
3)コンピュータ技術は、CGと写真表現とのフュージョンの世界を出現させた。やなぎみわは比較的判り易い例でだが、アンドレアス・グルスキーの場合、ドキュメンタリー写真にも抽象絵画にも見える。写真とデジタル技術を駆使して作り上げられた作品は、絵画特有の空間を写真によって実現している。またトーマス・ルフは、アダルトサイトのポルノ画像で作品化を試みた。デジタル技術の進化は、そうした写真表現の枠組みを逸脱した動きをいっそう加速化する。
結論
デジタル技術とインターネットの進化は我々が想像し得ない新たな視覚表現を実現してくれる。

▲添付した資料 ルフ(左)グルスキー(上)やなぎみわ(下)
というような感じでまとめたが、「写真」の未来像を自由に述べ手いるとはいい難い。しかし先生のアドバイスには従ったつもり。少なくともレポートは学習報告なので、自由にといっても、教科書の文脈と関係ないことを書いてもNGなような気がする。
評価はどう出るかわからないが、これで9月8日の科目試験は受けられる。スケジュールがバッティングしているので、ただいま調整中ではあるが…
アンドレアス・グルスキー展 ― 2013/08/15 07:04
ドイツの現代写真を代表する写真家、アンドレアス・グルスキーの個展を、六本木の東京新美術館に観に行った。映像文化論の課題4のレポートを書くのに、デジタルならではの作品ということで、写真家を調べていたら、東京新美術館で個展が開かれていることを知りさっそく出かけた。

ネットの説明を借用すると「世界的に高い評価を得ている写真家で、2011年には、代表作の1点が、現役作家の
写真作品としては最高額の約433万ドル(
当時のレートで約3億4千万円で落札されたほど。そんなに有名だから日本でも作品が展示されたことはあったが、以外にも個展ははじめて。作品は人の営みやその空間の面白さをテーマにしているけど、ただのドキュメンタリー写真ではない。画家が絵筆をふるうように、写真をデジタル技術を駆使して、圧倒的な画面を作り上げる」ということになる。
とにかく、幅3m以上の大判写真は圧倒される。


↑上段は「カミオカンデ」無数の金色の球体が輝いているが、その球体に周りの球体が映り込んで神々しく輝く不思議空間を作っている。下の水面は合成したものだそうだ。下段は「99セント」。99セント均一のマーケットの商品全てにピンが
、
不思議な空間を作り上げている。
いずれにしても、凄い!のひとこと。

実は、これまでアンドレアス・グルスキーを知らなかったのだ。映像文化論の勉強をして初めて知ることになった。いろいろな通信課題を進めていると、いままで触れることのなかった、新しいコトやモノやヒトに出会える。これもまた学習の楽しみだ。個展出口には、カミオカンデをつかった大きなポスターが。これ一枚欲しいな。
最近のコメント