建築史の最終課題提出! ― 2016/07/21 08:03
建築史の課題4を提出した。課題は、教科書の「新古典主義と19世紀の建築」を読み、独自に「問い」を設定して、問いに回答するようにレポートを作成しなさい。というもの。この章は新古典主義、ピクチャレスク、ポリクロミー、ゴシック・リヴァイヴァル、ロマンティシズム、建築様式の相対化などがあるが、第2課題で「ゴシック建築の革新とはなにか?」というレポートを書いたこともあって、ゴシック・リヴァイヴァルを取り上げることにした。タイトルは「ゴシック建築はなぜ復活したのか(ゴシック建築再評価のさまざまな要因)」。ゴシックは奥が深くて面白いです。
以下、レポート抜粋。
中世ゴシック建築は、18世紀末から19世紀前半のロマン主義の潮流の中で再び評価され、「ゴシック・リヴァイヴァル」として復興を果たす。なぜ400年もの時を超えて19世紀に復活したのかを考察する。
産業革命は、技術の進歩をもたらすと同時に、人間疎外を生む社会を作り出した。これに対する反動が「ロマン主義」であり、多様性や自然を尊重した。建築においては、古典主義は、個性を抑圧するものであるとして否定された。それに対して、ゴシック建築は、古典主義では表現できない非対称性や不規則性を受容し、自由な形態を可能にして、時代精神に受け入れられた。その一つの現れが「ピクチュアレスク」で、その美意識にかなう建物がゴシック建築だった。作例として、ストロベリー・ヒルがある。
ゴシック建築の流行には宗教的な理由もあった。異教の神殿建築を起源とする古典様式に対し、ゴシック建築は純粋にキリスト教の建築様式だと考えられたのである。キリスト教信仰の厚かった中世こそが現代が従うべき規範であり、ゴシック様式がキリスト教信仰を具現化する建築であるとした。
ナショナリズムの動きとも連動した。ゴシック建築こそが自分たちのアイデンティティを表現する建築であるととらえ、イギリスでは19世紀の国民的・国家的建築様式となった。ロンドンの国会議事堂がその代表例であるが、同時に、フランスではゴシック建築を自国で生まれたと主張し、ドイツもまたゴシック建築をゲルマン民族の造形とした。同時に、ゴシック建築が科学的・考古学的に研究され始めた。
以上、19世紀におけるゴシック建築復活の要因を考察してきたが、ゴシック様式は、単なる古典主義建築の否定ではなく、さまざまな要因が絡み合って復活したといえるが、いっぽうで、機械と工業が動かす新しい時代が作り出したとものといえるのである。

足掛け2年の長丁場だったが、やっと最終課題を提出した。未消化で提出した課題3の轍を踏まないように、ぎりぎり最後まで、さまざまな資料に目を通した。もっとも、この後の科目試験に合格しなければ4単位はもらえないが、チャンスは9月、10月、11月、1月と4回あるのでなんとかなるでしょう。何よりも西洋美術史と合わせてこの建築史(内容は西洋建築史)を勉強したおかげで、海外旅行がいっそう楽しくなりそうだ。
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