工芸論の学習質問2015/12/15 16:45

 工芸論の課題2で、益子焼と人間国宝の浜田荘司を取り上げようと、いろいろ資料を読んでいたが、学習指導書では重要無形文化財について述べることになっていた。益子焼を調べてみるとなんと重要無形文化財にはなっていない。こりゃテーマから考え直しかなと、少し焦って学習質問をした。

 質問:「任意の重要無形文化財について述べなさい」との設問で、自分自身が接点を持つ地域の関わりとして「益子焼+浜田庄司」をテーマにしたかったのですが、浜田庄司の作陶していた「益子焼」自体は重要無形文化財にしていされていません。文化庁のデータベースのある重要無形文化財でなければ不可なのでしょうか。ご教示ください。」

 回答:「浜田庄司が重要無形文化財に認定された対象は、ご存知のように「民芸陶器」ですが、すがPAPAさんが対象になさりたいという「益子焼」について、それが浜田の存在の前と後に、どのように民芸陶器と重なり合って存在しているかを理解することは、おおいに意義のあることだと思います。民芸陶器を語るうえで益子焼は欠くべからざる存在です。意欲的なレポートを期待しております。(回答はY.N先生)」

 ということで、とりあえずホッとしました。

初めてのS評価!2015/09/11 17:21

 7月10日に提出した工芸論が返ってきた。8月下旬になっても音沙汰がないので気にはしていたが、私事忙しくすっかり忘れていた。夏休み時期で先生も休んでいるのだろうかと思いつつ、まあ、急ぐ旅ではないので問い合わせはしなかったが、ちょっと時間がかかりすぎではないでしょうか…

さて、添削結果は「S」!評価基準が変わって今年からSが設定されたが、もちろん初めて。
以下講評。
伊万里焼「色絵花鳥文大深鉢」について、各項目にわたって丁寧な学習に裏付けられた簡潔な説明でまとめています。
 対象作品を一点に絞り込むことによって、さまざまな角度からのアプローチで理解を深められたのだと思います。
 海外との影響関係については、大陸・半島伝来の技術的側面のみでなく、世界史的視点から、欧州での展開についても言及することができています。

というシンプルな講評でした。添削者は長NY先生。さて、課題2もガンバラなくっちゃです。

工芸論課題1提出。2015/07/10 21:24

 5月末に長年勤めた会社を辞めたので、少しは暇になるかと思いきや、いろいろと野暮用が出てきて意外と忙しい。それでも少しずつ通勤のない生活のリズムがとれてきた。長女の出産準備で、妻が7月7日からさいたまにロングスティしているので、当分は一人暮らし。独身時代以来45年ぶりの自炊生活。毎日の料理作りがちょっと楽しい今日この頃。三食の間に勉強するって感じだが、工芸論課題1のレポートが完成したので、さっそく提出した。課題1は「日本の工芸のうち。海外との交流から影響を受けたと考えられる作品を選び詳述しなさい。」というもの。

工芸論1-1

以下、抜粋。

「海外との交流から影響を受けた日本工芸として、伊万里焼「色絵花鳥文大深鉢」を詳述する。

1)作品情報 
色絵花鳥文大深鉢(いろえかちょうもんおおふかばち)
伊万里(柿右衛門様式)
江戸時代・17世紀
東京国立博物館蔵 重要文化財

2)造形・意匠
 本作品は広い底部からやや開き気味に胴が立ち上がり、背の高い丼鉢といった形状である。このような形式は、ヨーロパからの注文であり、東インド会社が景徳鎮に注文したものにも類似の形がある。白磁の胴に色絵で花や鳥が描かれていが、華やかというより地味な印象を受けた。素朴ともいえる描画技術は、良くいえばおおらか、悪くいえば雑である。太湖石を中心にした花鳥文様や、白素地の空間を残した構図は柿右衛門様式の典型である。

3)素材・技法
 本作品は磁器である。磁器はカオリンと呼ばれる長石が主成分を成している磁土を高温で焼くのが特徴で、白くガラスのように滑らかで硬質な仕上がりとなる。最初の国産磁器は、青の絵付けをした単彩であったが、中国の磁器技術が伝播したことで、色釉を使った色絵が登場。その後、乳白色の素地が作られ、これに色絵で絵画的な文様を描いたものが柿右衛門様式の典型的だが、本作品は、やや青みを帯びた白磁素地である。

4)用途
ヨーロッパにあるものは、金具で台や把手をつけて室内の装飾に供されたらしく、装飾が主な用途と考えられる。

5)歴史的展開の中の位置づけ
 国産磁器の製造が開始されたのは17世紀、それまで日本には磁器の焼成技術がなかった。しかし、朝鮮出兵の際、佐賀藩の藩祖が朝鮮から多くの陶工を日本へ連れ帰り、これら陶工たちが磁器原料を発見したことから、有田において磁器の製造が開始された。17世紀後半には酒井田柿右衛門が、国内で初めて赤絵の技法を完成させ、海外輸出が本格化する。

6)海外との交流の影響
 当時の中国は磁器の輸出大国であったが、明王朝が滅亡して内乱状態となったため、ヨーロッパ諸国は磁器を日本へ発注するようになった。中国磁器の輸出再開後も、ヨーロッパへの輸出は継続し、その後のヨーロッパの陶器に大きな影響を及ぼした。多くの国々で模倣されたため、その起源が東洋にあることが忘れ去られるほど、ヨーロッパの磁器の一部へと浸透した。

7)日本的特徴
 白色の素地と空間を十分に残した絵画的な構図は、日本独特の美意識が表現されている。

 以上、抜粋を書いたが、やはり自分の目で本物を鑑賞しなければ伝わってこないものがあると思う。さて、結果はいかに?

工芸論をぼちぼち2015/06/19 08:55

 いつのまにか6月下旬。40余年勤めた会社の退職や、結婚40周年記念旅行などが重なり、なにかと多忙で勉強がほとんど手がつかない状況が続いているが、少しでも履修科目を消化しようと、工芸論に手をつけた。教科書は日本美術史と同じ「日本造形史」。これがわかりにくい教科書でぜんぜん頭にはいらないので、とにかく課題に取り組むことにした。

 工芸論の課題1は「日本の工芸のうち、海外との交流から影響を受けたと考えられる作品を選び詳述しなさい」というもの。課題に選ぶテーマの例が載っている。(例1)正倉院宝物から、(例2)陶芸から、(例3)染色から、(例4)漆工から…で、ポイントは「造形や衣装を、自分の眼で鑑賞し、自分の言葉で描写する」とあること。つまり実際に鑑賞できなければレポートは書けないとうことだ。正倉院宝物はすぐに見ることができないからNG。で、陶芸の伊万里焼を選んで詳述するに足る作品があるかどうかネットでチェック。いけそうな17世紀の伊万里焼があったので、さっそく東京・上野の国立博物館に出かけた。

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 お目当の伊万里焼は、重要文化財に指定されている「色絵花鳥文大深鉢(いろえかちょうもんおおふかばち)」。伊万里焼は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、有田を含む肥前の領主であった鍋島直茂に同行してきた陶工たちの一人の李参平が、1616年(元和2年)(1604年説あり)に有田東部の泉山で白磁鉱を発見し、近くの上白川に天狗谷窯を開き日本初の白磁を焼いたとされる。有田焼を含め、肥前の磁器は、積み出し港の名を取って「伊万里」と呼ばれていた。色絵花鳥文大深鉢は、初期の柿右衛門様式(色絵磁器)の伊万里焼である。

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 現物を見たが、いまひとつその良さがわからないのは、陶器に対してほとんど知識を持たない故であろうか。伊万里焼にイメージする緻密な絵柄や彩色とはやや趣が違うような印象もあるが、とにかくこれについて詳述することにした。 前途多難なり。