美術論、課題2提出2016/09/25 11:14

 「日本美術における芸術と社会との関わりについて考察しなさい。できるだけテーマを絞り、具体的な記述でまとめること」、これが美術論課題2のお題。テーマをいろいろ迷ったが、日本文化論でも取り上げた浮世絵と大衆の関わりに注目することにした。これが無事通って、科目試験に合格すれば、卒業要件の文化科目50単位のハードルをクリアできる。「C」でも良いのから通して欲しいです。

美術論2

以下、レポート抜粋。
「浮世絵の誕生と大衆絵画の成立」
 浮世絵は日本代表する伝統的芸術作品であるが、そもそも生活風俗などを描いた印刷物に過ぎない。そのような浮世絵がなぜ江戸庶民文化の華とも称される大衆絵画として成立したのかを考察する。

 桃山時代に、御用絵師たちによって、人々の生活をテーマにした風俗画が描かれるようになるが、概して大型の絵画作品であり、それを所有するのも鑑賞するのも支配階級であった。しかし、江戸時代に入ると、町絵師たちの手で描かれるようになってゆく。江戸初期の絵師で特筆されるのは、「岩佐又兵衛」である。風俗画の流行をきっかけに、遊女などの姿絵を描いた絵画掛軸が大量制作されるなど、風俗画の所有や鑑賞が少しずつ一般大衆にも広がりを見せていく。

 そうした風俗画が大衆絵画として決定づけられたのは、「菱川師宣」による「浮世絵」の誕生である。印刷された版画は誰もが購入できる商品となり、一般庶民が絵を気軽に楽しむ状況が生み出されたのである。さらに大きな転換期を迎えるのが「鈴木春信」による多色刷りの極彩色版画「錦絵」の完成である。浮世絵は、版元の下、絵師、彫師、摺師の共同作業で作られ、専門の絵双紙屋を通して人々の手に渡ったが、その流通量は膨大であり、庶民の美意識を変化させる上で重大な役割を果たしたのである。

 「鈴木春信」の後、さまざまな作者が次々と現れ、さまざまなジャンルを生みながら浮世絵の世界を広げていった。浮世絵はまた、情報を得るためのメディアしても庶民に浸透していった。それら浮世絵のテーマの特徴は世俗性にあるといえ、明らかに庶民感覚を反映した享楽主義的なものであった。このことは浮世絵の担い手が、制作する側も見る側も一般庶民であったことを示している。浮世絵は、武家や公家、上層町人のものだったそれまでの絵画とはまったく別な文脈で発展していったのである。

 明治期に入り、存在基盤を失い消滅せざるを得ないものとなったが、庶民のささやかな娯楽であり続けた事実は疑いもなく、二百年余にわたっる庶民の支えてが、浮世絵を大衆絵画として成立させたといえ、また19世紀後半の西洋の芸術家に影響をおよぼすなど、庶民の力が単なる大衆娯楽に過ぎなかった浮世絵を芸術作品へと生まれ変わらせたのである。

 投函した後に、学習指導書を改めて読むと、「…考察対象も過去の作品に限らず、我々を取り巻く現代社会も視野に入れて欲しい」とある。ちょっとミステーク(汗)、浮世絵が庶民の力で芸術作品になったあたりを、「現代社会もまた、芸術は特別なものではなく、誰でもが芸術作品を作る可能性を秘めている。その作品を芸術と見るか否かは、市民の手に委ねられている…」とかなんとか書けばよかったかな。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://sugapapa.asablo.jp/blog/2016/09/25/8200584/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。