美術論、課題1講評2016/08/22 15:09

 美術論課題1が帰ってきた。評価は「B」だった。自覚していたことだが、レポートの記述が少し甘かったことは否めない。多少焦っていた感もあるが、課題2はもう少ししっかり調べてから書くことにしよう。

美術論講評

 以下講評。H井先生。
「定義の成立と変遷をわかりやすくまとめています。近代以降の展開についても、もっとふみこんで記述が加わると良かったですね。また、なぜそのようにへんせんしたのか、その背景についても考えて見てください。」

 と簡素な講評。つまり「近代以降の記述」がなかったことと、「定義が変遷した原因」が書かれていないことが、B評価の原因ということだ。資料があまりなかったので、近代以降は書かなかったというか書けなかったが、教科書(カラー版日本美術史)をよく見ると、165ページに「文展出品者の方では、大正15年、松岡映丘、鈴木清貴、平福百徳らが金鈴社を結成し、明治以前のやまと絵や浮世絵的なものを復興しようという動きも生まれていた」という記述があった。しまった〜という感じだが、さらに調べると、明治時代に入って西洋からの多様な文化と比較して、古典的なやまと絵の様式が改めて人々を魅了するようになったようだ。キーは松岡映丘で、美術人名辞典には「山名貫義にやまと絵を学び、ついで川合玉堂の指導を受け、金鈴社や新興やまと絵会を起こし、さらに国画院を結成し、やまと絵の伝統を近代に蘇らせた」とある。やはり、もう少し調べてまとめるべきだった。「定義が変遷した原因」については、読めばわかると思ってあえて書かなかったが、「その時代々々の外圧というか、国外からの伝搬した文化によって変遷した」と明記すべきだった。

 B評価で「やまと絵の定義の成立と変遷」を改めで調べて、朧げながら近代以降を把握したことは、収穫といえば収穫である。自分の知識として身につけるには、まだまだだが…

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