提出!ゲルニカの考察2014/12/03 10:09

 『ゲルニカ』の考察を無理矢理まとめた。絵画の考察なんか初めてだから、答えがよくわからない。レポートにしたものの自信がまったく無い。とにかく、画面から得られる情報を細かく記述したが、どうなんでしょうね。とりあえず提出だけはしたが…

以下、レポート抜粋

  1780年から1980年までの間に制作された西洋の美術作品の中から、『ゲルニカ』を選び、その造形的な特質について考察する。

 横長大画面はノクロームで仕上げられている。モチーフは平面的で奥行きを感じないが、上部に遠近法的な線が使われ室内空間を作る。しかし、二つの建物によって屋内と屋外が混在したシュルレアリズム的な表現になっている。ランプを頂点とした安定した三角構図になっている。
 画面中央に槍が突き刺さり膝をついた馬が描かれているが、キュビズム的表現よって別格の存在となっている。目を見開き、歯を剥き出し、口から尖った舌を突き出して呻いている。馬の下に、胴も脚もない人が倒れているが、無機的でトルソのようでもある。馬に踏みつぶされたようにも見てとれる。折れた剣を逆手に握りしめた右腕は、離れて転がっている。傍らに一輪の花が咲いている。輝く光源は電球が描かれているので天井照明のようだが、太陽のようでもあり眼のようでもある。その左側には、牡牛が飄然とたたずんでいる。馬の惨状から目を背けるように画面の外を見ている。あえて無関心を装っているようにも見える。馬と同様に尖った舌が描かれ、尾は振り上げられている。牡牛の前には、白眼をむいた子供を抱きかかえる女性がいる。馬と牡牛の間には机があり鳥がくちばしを上に開けてとまっている。右側の建物の窓から、女が長くディフォルメされた腕でランプを差し出している。惨状に驚いているかのようだ。その下には、乳房をあらわにした女、右脚は短縮法のようにディフォルメされている。見上げた先に光源がある。画面の右端には、両腕を上げて叫んでいる女が宙に浮いている。胴体は硬直した一枚の板ように表されている。女の奥には一つ窓の建物。屋上から飛び出ているものは、炎のようである。

ゲルニカ構図

 以上、テーマや時代背景など予断を交えずに、『ゲルニカ』に描かれている事実のみを記述した。さまざまな要素が混沌と組み合わされた画面からは、ただならぬ緊迫した状況が描かれているのが見てとれる。事前情報を踏まえた上で鑑賞すると、描かれているモチーフがよりリアルに見えてくる。槍を突き刺され嘶く瀕死の馬、たわる兵士、死んだ子どもを抱きかかえて泣き叫ぶ女、炎に身を包まれ絶叫する女、救いを求めるかのように天を仰ぐ女、燃え盛る建物…、まさに空爆の惨状。しかし、兵器は一つも描かれておらず、見た目の戦争は表されてない。怒りを動機に制作したにもかかわらず、怒りを表わす要素がないから、単純に「戦争への怒り」と解釈することはできない。また、さまざまに解釈できるモチーフは何を意味するのか。馬は、蹂躙されるゲルニカとも、瀕死のヒューマニズムとも解釈されているし、牡牛は、ファシズム、またはスペインの形象化とも、破壊と創造の原理を形象化したものともいわれている。

 専門家などのまざまな解釈があるが、人それぞれ感じ方は違う。ピカソが「牡牛は牡牛だ。馬は馬だ。」と語っているように、意味はあまり重要ではないのかもしれない。私自身『ゲルニカ』と対峙した時、「眼を背けていた真実を突きつけられたような不安感」に圧倒された。『ゲルニカ』には、「勝者も敗者も無い悲惨なもの」という戦争の真理が描かれているといえるである。

 こんな感じですが、様式にしても構図にしてもモチーフにしても、一義的に語ることができない難解な絵。選ぶ対象を間違えたのかも…

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